生体材料の安全管理に関する思い
滋慶医療科学大学院大学
教授(工学博士)
岡崎 正之
1960年代の宇宙開発競争時代、人類が「青い地球」に目覚めることにより誕生した「生命科学(Life Science)」の両翼を担う医用工学(Medical Engineering)と生命工学(Bio-technology)の分野で活躍している医用材料が「生体材料(バイオマテリアルBiomaterials)」です。
もともとは、1974年の国際バイオマテリアル学会において提案された、” A biomaterial is a systemically, pharmacologically inert substance designed for implantation within or incorporation with living systems.” (生体材料とは、生体組織の中に埋植されたり、あるいは接触するようにつくられた組織学的、薬理学的に不活性な物質のこと)というのが生体材料の一般的な定義です。
広義には
① 人工臓器用材料
② 臨床化学分析用材料
③ 医薬用材料
④ 医療用材料
⑤ 細胞工学、遺伝子工学、免疫工学用材料
を含むことになり、少し漠然とした医用材料とほぼ同義語として用いられています。また、生体そのものも生体材料ということになるわけですが、生体構成成分を強調する場合には生体由来材料として区別することもあります。
ところが最近、再生医学を支える組織工学の急速な発展により、生体材料という概念は増々複雑になり、日々進化していると言えます。「不老長寿」も夢では無くなりつつあり、生命倫理の議論も盛んです。それだけに、医療で用いられる材料の安全性を明確にして、管理することが重要になってきています。ただ、残念なことに生体材料の安全性に関しては、未だ確立されていないのが現状です。「生体親和性」という概念が科学になりきっていない感があるのです。しかも現在のところ、生体材料の安全性に関する法規制では、薬事法や日本工業規格(JIS)、国際標準規格(ISO)における医療機器の中で医療用具の一部として扱われているにすぎません。
これまで、医療で用いられている材料の安全性レベルについては図のような評価で考えられてきました。医療の現場では、「待った」が通用しません。用途に応じどのレベルの材料を使うかによって、材料の安全管理の仕方は自ずと変わってきます。医療従事者としては、その点を十分に認識しておく必要があります。ともすれば、新素材に期待しすぎて安全管理をおろそかにすることもあるかも知れません。また、患者さんも、新素材への期待が膨らみすぎて過剰のイメージを持ち、術後トラブルが発生しないとも限りません。予め十分な説明が出来るだけの材料に対する知識を身に着けておく必要があります。
生体材料の教育と研究に永年携わってきてつくづく感じたことは、生命誕生35億年の歴史と人類1万年の歴史の差です。現状では生体材料が人工材料である限り、生体の崇高さにはとても太刀打ちできないことを実感させられました。最も、機械的強度のような一部の機能については、人工材料の方が優れている面もあるかも知れませんが、総合的にはとても生体にはかないません。今用いている材料の物性を謙虚に受け入れ十分理解することが、医療における材料の安全管理にとって大変重要なことだと思います。「医師だけでなく広く医療従事者に生体材料の教育が行き渡ることが大切」だと痛感しています。その意味で、本学の医療安全管理学が新学問領域の先駆けとなることを願っているところです。
重要ポイント
- (1)生体材料の安全管理に関する医療教育体制の確立
- (2)広く医療従事者へ生体材料物性の重要性をアピール
- (3)生体材料の安全性評価の体系化
滋慶医療科学大学院大学
教授(工学博士)
岡崎 正之 (おかざき・まさゆき)
プロフィール
1947年生まれ、京都府出身。71年京都大学工学部卒、73年京都大学大学院工学研究科修士課程修了、76年同博士課程単位取得、78年工学博士(京都大学、人工腎臓に関する化学工学的研究)。
大阪大学歯学部助手、講師、助教授、広島大学歯学部教授、広島大学大学院医歯薬学総合研究科教授、広島大学名誉教授などを経て、2013年本学教授。
日本人工臓器学会大会優秀賞(1993年)、日本バイオマテリアル学会学会賞(2007年)、日本歯科理工学会学会賞(2010年)など受賞。日本歯科理工学会、日本バイオマテリアル学会、日本マグネシウム学会の理事を歴任。
著書は「歯と骨をつくるアパタイトの化学」(東海大学出版会、1992年)「バイオマテリアルシリーズ 3.セラミックバイオマテリアル」(岡崎正之、山下仁大編著、コロナ社、2009年)他。